11/14グローバルカフェ開催分資料

Update お知らせ グローバルな企業の社会的責任(GSR)

第16回グローバル・カフェ(2020年11月14日オンライン開催)のポイント

スピーカー:
グローバル・ポリシー研究センター代表
関西学院大学フェロー 小池洋次

講演タイトル:「大統領選挙後のアメリカ~破壊者のあとに必要なヒーラーと設計者」

 

本日、グローバルカフェにご参加頂きました皆様、誠にありがとうございます。
今回のトピックは今現在も目が離せない『米大統領選』についてでした。
小池先生のお話にありました、レジュメと発表に使用されましたスライドをここに添付します。
ご参加された方も、時間の都合上参加できなかった方も是非ご覧になってください。

 

 

コメント 文責:福田聡菜(事務局長)

 日本にとって、最大かつ最重要視されている同盟国・アメリカ。
そのアメリカの大統領選とあって、日本メディアも、また多くの日本国民もその行方を注視してきました。
結果はほぼバイデン氏が次期大統領という流れが強いですが、不正の追及やそれに対する裁判なども控えており、まだ確定事項とはなっておらず、「連邦施設を管理する一般調達局(GSA)」も投票日を過ぎた後も勝利認定をしていないのが現状です。

 私も例外なく、アメリカ大統領選の選挙を注視しておりましたが、今この状態になって思うのは「果たして選挙とはこういうものだったか」ということです。米国アカウントのtwitterで、投票の集計不正を防ぐための立会人である弁護士らを部屋から追い出し、拍手が起こる様子の動画があげられたり、集計している部屋の窓に目隠しとして白い紙を置いた写真が投稿されたり、はたまた、BLM運動創設者が6000万以上の票を投票したことに対する見返りを求める書簡を、バイデン氏へ送ったとFOXが報じたり、これまでの選挙とは異なる眺めがそこには確かに存在している様に思います。選挙とはルールにのっとり、公平公正で、ましてや投票した事による見返りを求めるようなものではなかったはず…と、首を捻らずにはいられないのです。

 「何か変だよな」と思いつつも、選挙は選挙です。
バイデン氏とトランプ氏どちらが笑っても泣いても、最終的に「連邦施設を管理する一般調達局(GSA)」が勝利認定した方が次期大統領になります。それはアメリカ国民の民意の結果でもあります。どちらになっても、一国のリーダーとして正しく導いてくれることを、国民は期待しているでしょうし、国内や国外との関係が今よりも、彼らにとって良くなっていけば、そこに大きな不満は無くなるのだろうと考えます。

 ただ一つ、私はどうしても引っかかることがあります。
米国メディアや日本メディアの「7000万以上もの票がトランプに投票されたことが信じられない」という論調です。個人で思うのは自由ですし、発信するのも自由です。しかし、テレビなどで大々的にメディアがこれを言うことは「頂けない」と私は思います。何故なら、たとえ信じられないとしても7000万の人が次期大統領にトランプ氏を望んだということは事実なのです。そこには民意があります。人の思いがあります。
断じて蔑ろにして良いようなものではないはずです。
背景にどんな経緯があり、どんな思いがあって何故トランプ氏に投票に至ったかを考えず、「信じられない、理解できない」の一言で片づけるのはあまりに排他的であるし、同じ国に住む人間を尊重していないと感じます。

 とどのつまり、この一言から現れているように、現状の米国内の分断は国民自身で招いたことであると私は思っています。自分と他者の違いを尊重できず、相手を理解しようという気持ちや、折衷点を見出す重労働を結果的に放棄したのです。「私たちと考えが違うアイツがおかしい」としてしまった方が楽なのはその通りですから。理解しようとするほうが圧倒的に体力も使うし、頭も使います。確かにトランプ氏は分断を扇動するような発言が多かったです。が、彼は良くも悪くもビジネスマンであり、政治屋として敏腕だったわけでもなく、大統領として絶大なカリスマ性があったわけでもありません。そんな人間一人が発信したところで、ここまで大きな分断を起こすのは容易ではありません。

 かねてより、人は分断する生き物です。宗教や政治、文化の違いなど、人が人と分断する理由は歴史的に見ても多く存在します。民主主義に分断は付き物で、いつだって多数派と少数派が存在しています。けれど、いかなる理由をもってしても、異なる思想を持つ人を虐げたり、除け者にしたりするようなことがあってはなりません。少数派を特別扱いする必要こそありませんが、蔑ろにして良い理由なぞ少しもないはずです。そしてこれは日本も同様であり、また私たち日本人の小さなコミュニティも例外ではないと考えます。声が大きければ正義なんてことはありません。どちらも正義であり、またどちらかが正しいと明確に根拠をもって断言できる人なんて、そうそういないのですから。
「私はこう考えるけど、あなたは違うのね。」そこで争うのではなく、互いに研鑽しあえる様な関係を、人間である以上持ってほしいと、私は強く願わずにはいられないのです。

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